私が会社の成長を止めている
社名変更から4ヶ月。創業期は、自分ひとり。問題が起きれば自分で動いて、なんでも自分でやらなければならなかったし、資本金10万円で始まった小さな会社には、自分以外の誰かに託せるほどのお金もなく、スタッフも最小限。そのほとんどを一人でなんでもやってきたというか、そうするしかなかった。だから、自分がその現場の最前線で動くことで、会社が前に進んだし、自分自身の成長が、会社の成長に直結していた。
けれども、その「何でもできる創業者」である幻想が、
少しずつ会社の成長制約にもなり始めているようにも感じていました。
大小さまざまな21の事業を持ち、飲食、宿泊、食品、地域デザイン、通販などを抱え、さらに会社の外にも関連会社や関係する会社、地域プロジェクトも増えてきた。それは、もう自分自身が店頭に立って一番仕事をする人として、会社を成立させるような規模ではなくなりつつあることを考えさせられる。
もちろんお店という現場が恋しくなる時があります。ありがとうと、直接言ってもらえる最前線ですから。でも、この数年間、心してその現場を離れました。なぜなら
私が、動かす会社。から、私が不在でも会社が動くこと。
そして、私がいることで、会社の少し先の未来がつくられていくこと。
に転換したいとコロナ禍で思い、それを実現していくのが、ここからの私の仕事だと思ったから。現場で問題が起きれば考えることができる。コンセプトもつくる。商品の企画も考えられる。文章もたまに書く。あらゆる交渉もする。新しいプロジェクトも思いつく。
だから結局、「ケンタさんに聞いたほうが早い」会社になって、ますます経営者としての孤独感は加速し、会社の能力ではなく、私の処理能力が会社の上限になっていく。だからこれから私が捨てなければならないのは明確で、21の仕事ではなく、「自分が答えを出す」ことなんだと思う。
自分ならこうするではなく、「あなたはどう判断する?」「何を基準にそう判断した?」企業文化というのはすぐには醸成できない。だからこそ、この繰り返しが island company.の企業文化を繰り返す時間の中でつくられていく。そうして、それが
私がいない日に、スタッフが何を基準に判断するか。
という企業文化の土壌になっていくと信じている。

island company. は、これまで甑島の現場を中心にさまざまなプロジェクトを通じて蓄積した、店舗運営、観光事業、商品開発、地域ブランド、人材育成、地域デザイン、会社のファンづくり、地域を超えたコミュニティ形成など、それらの棚卸しをした先に、
地域経営OS のような形にしていく。
OS=Operating System
ここに、island company. の大きな可能性があると信じています。
例えば、「何の店が必要なのか」「宿をどう再生するのか」「誰が担うのか」「地域内でお金をどう循環させるのか」をそこに暮らす人たちと一緒につくる。その関わり方としては、店舗そのものを所有するあり方だけではなく、出資、運営受託、ブランド提供、共同事業、人材派遣、プロデュースなど。
会社のバックオフィス、ヒューマンリソースなど、目の前に山積する課題を整えた先で、ここからのisland company.は、「甑島の会社」から、日本の島における「小さな地域を経営する会社」としてゆっくり焦らずに挑戦を進めていきたいと思っています。限界集落でも、小規模離島であっても生きようとする人たちと、生き残っていける村の構造を共につくり直していく。そんな転換点が今、なんだと思う。
さまざまな島や集落を歩けば、この建物まだまだ生きてる。この人となら何かできる。この商品は面白いけど勿体無い。この場所にはこの店が必要だ。そんな風に、見えてくるところがある。私自身は、その目を養うことができたからこそ、現在のisland company. は生まれました。でも、これからの私が行うことは、
100個見える可能性から、3個だけ選ぶ人にならなければならない。
そこが次の10年の経営者としてのテーマ。
2012年からの14年間が、「島に必要なものをつくる時代」だったとすれば、2026年からは、「つくったものを経営の型にする時代」に入ったのかもしれない。この転換を実装できれば、island company. は「面白そうなことをやっている地域会社」から、日本の「小さな地域経営モデルをつくる会社」へと進化していく。
私たちは、その入り口に立とうとしています。
island company. という存在は、会社であって、会社でないとも思うのです。日本の島で前を向いて頑張る人たちや、小さな村をつくろうとする人、守ろうとする人、繋ごうとする人、そうして想いを持って挑戦する人たちのそばにいつも在りたいと今日も願っています。
書いた人