おいしくないお米

島の食卓

2010年10月03日

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急遽、島米の収穫日からおよそ2ヶ月のあいだ「新米札」を付けることにしました。

お米の美味しい季節はやっぱり新米を食べて欲しいという単純な思いがあるから、ひらめいたのだと思います(笑)昔から島の人たちは口を揃えて「早期米は始めのうちだけで、あとは美味くない」「初めのうちは、普通作と変わらないけど・・・」と言います。聞くひと、聞くひとそう言います。

次第にその言いぐさは「島の米は美味しくない」として語り継がれるようになっているような気がします。残念なのは、そのひとたちのリアルな実感だけではなくて、何となく語り継がれているから、みんなも言っているから、自分もそう言っているような印象を受けることです。

確かに、お米の保存が難しいのは事実ですが、それは今のところ甑島に限ったことではなく世界共通です。(ロシアで凄い冷凍技術を開発中なのは除いて)さらに、本当に美味しい時期は、収穫してから7日間だけという極端な方までいらっしゃいます。

僕は作り手であり、一消費者でもあるので、そういう環境や状況の中で自分自身や、島米そのものを客観的に見ようとする努力はしています。しかしながら、ふるさとのお米が美味しくないと言われてしまうのはやはり辛いことです。

誰が前向きな意見を口にしてくれたでしょうか。

新米を食べて、「新米の季節は美味しいね。」を共有すればいいはずなのに、どこかの地域と比較したり、良いことは棚に上げてマイナスの部分ばかりを共有している。なんだか、できないこと、ダメなこと、あきらめ、劣等を口にだして、皆が「そうだよね」と言ってくれるところに一種の安堵感があるような気がしてならないのです。

安堵したところで、気持ちが落ち着いたとしても現状は何も変わらないのですが。それは、お米だけでなく、地域社会の暮らしのあちこちでもよく見られることで、それぞれ不満を口にするだけで誰も本気で変えようとはしないのです。

よくするには、シンプルだと思います。もちろん容易ではないけれど。

何かを変えようとするとき、大きな対象を変えようとするから難しくなる。まずは自分がやってみる。一気にすべてを変えるのではなくて、少しずつ変わってみる。捉えかたや角度を変えてみること。そういう、小さなこと・見えにくいことの積み重ねが大事なんじゃないかって。新米札が、それにあたるかは分からないけれど、きっとそういう思いがあったからなんだと思う。

ヤマシタケンタ

ヤマシタケンタ

1985年鹿児島県上甑島生まれ。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退したのち、キビナゴ漁船の乗組員を経て京都造形芸術大学環境デザイン学科地域デザインコース専攻。故郷をもっと好きになりたくて島に帰る。東シナ海の小さな島ブランド株式会社の代表取締役兼百姓を務める。

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