REPORT お知らせ 2026.10.31

【薩摩会議2026 DAY2 〜甑島セッションレポート〜】百年先の風景をつくるために、足元の暮らしを問い直す

「150年後の世界に、私たちは何を遺すのか。」

この問いを掲げ、鹿児島を舞台に開催されている「薩摩会議」。2026年は「Who am  I!?」をテーマに、10月10日から12日までの3日間にわたって開催されました。

2日目となる10月11日は、鹿児島県内および周辺の15エリアに分かれ、各地域の風景や人々の営みに触れながら、これからの社会のあり方を考える分散型のローカルセッション(フィールドワーク)が実施されました。

その一つが、甑島を舞台にしたセッションです。

テーマは「暮らしを問い直す」。

島にある風景や文化、日々の営みを起点に、どんな暮らしを未来へ残していくのか。

今回の甑島セッションでは、島で地域づくりに取り組む弊社代表・山下賢太と、島根県大田市の石見銀山・大森町を拠点に「群言堂」を育ててきた松場登美さんを迎えました。

甑島を訪れた参加者14名とともに、1泊2日をかけて島の各地を巡りながら、これからの暮らしと風景について考えました。

松場登美(まつば・とみ)
1949年(昭和24年)、三重県生まれ。夫の故郷、島根県大田市大森町で町内の古民家を改修し「BURA HOUSE(ブラハウス)」「群言堂」などの店舗をオープン。デザイナー兼株式会社 石見銀山生活文化研究所の所長を務める。2008年、他郷阿部家を設立し、宿事業を運営。町内の古民家も多数再生させる。2021年、「令和2年度ふるさとづくり大賞」内閣総理大臣賞受賞。2023年、所長引退後の現在も阿部家の竃婆(おかみ)を務める。著書多数。

松場登美さん(写真右)

百年先の風景をつくるために、今できること

10月11日の朝。参加者たちは鹿児島市内からバスで川内港へ向かい、高速船に乗って甑島を目指しました。

里港に到着した一行が最初に向かったのは、island companyが運営する、「パンと食堂 オソノベーカリー」。築160年を超える武家屋敷を再生した集落唯一のパン屋さんです。

ここで山下による今回のフィールドワークに向けたインプットのための講話が始まりました。

甑島出身の山下は、2012年に東シナ海の小さな島ブランド株式会社(現:株式会社island company)を設立して以来、島の産業や暮らしを支える事業に取り組んできました。

掲げているのは「百年先の風景をつくる」という考え方です。

講演では、人口減少が進む甑島の現状や、山下自身が子どもの頃に見ていた風景の変化について語りました。かつて人々が集まっていた港は、公共事業によって埋め立てられ、島の暮らしや仕事のあり方も時代とともに変化してきました。

そうした中で山下が大切にしたいと感じているのは、「人が減りゆく社会」を嘆くのではなく、「一人ひとりを大切にする社会」へ変えていくという希望ある未来の捉え直しです。

人口を増やすことだけを目標にするのではなく、島に暮らす一人ひとりの営みや、そこから生まれる風景をどう未来へつないでいくのか。

そのためには、風景を守るという思いだけでなく、暮らしを支える経済や仕事のあり方にも目を向ける必要があります。

講演では、観光のあり方についても問いが投げかけられました。

「Sight-seeing(みてまわる)」から
「Sight-beeing(在りたいを訪ねる)」への転換です。

観光地を見て回るだけではなく、その土地に身を置き、暮らしの一端に触れること。観光客を迎えるために島の日常を変えるのではなく、島の人たちが望む暮らしを大切にし、その暮らしに訪問者を迎え入れる。

講演後には、参加者一人ひとりが自己紹介を兼ねて、話を聞いて感じたことや、今回のフィールドワークで関心を寄せていることを共有しました。それぞれの仕事や暮らす地域と重ね合わせながら、島の未来や地域との関わり方について考える時間となりました。

こうして、参加者それぞれの思いを共有した後、一行は島の各地へと向かいました。

島の風景に触れながら、暮らしを考える

講演を終えた一行は、山下の案内で島の各地を巡りました。

取引先である水産加工の現場やisland companyが事業承継した「FUJIYA HOSTEL」を訪れた際には、宿泊客との関係性についての話もありました。

FUJIYA HOSTELをはじめ、island companyの運営する店舗には、接客マニュアルがありません。その中でも山下が伝え続けているのは、「いらっしゃいませ」より「こんにちは」から始まる関係性をつくることが大切であるということ。

観光客とサービスを提供する人という関係ではなく、島で暮らす人と、そこを訪れた人として出会うことを大切にしていると伝えました。

東京から移住したスタッフもアテンド

その後は、里の集落を歩き、かつて人々が賑わっていた港や通りに立って、暮らしとその風景の変化を実際に目にしました。

続いて訪れたのは、island companyの本社でもある「山下商店甑島本店」。島に残る最後のとうふ店になったことや、集落を巡る移動販売が、地域のインフラになりつつあることが紹介されました。

山下商店甑島本店外観

午後からは、甑島国定公園の特別区域である長目の浜へ。

約4キロメートルにわたる砂州と、淡水・海水・汽水の異なる環境を持つ池が隣り合う風景を前に、山下は自然の成り立ちや、人々が長い時間をかけて自然と関わってきた歴史を紹介しました。

その後、甑島でおよそ100年前に試験養殖が始まったとされる真珠養殖が続いている浦内湾へ向かいました。元々は、長目の浜で育ったアコヤ貝の稚貝から真珠養殖が始まりましたが、現在では生産に扱いやすいマベ貝を使った養殖となっています。

貝を育てるのにおよそ5年。その後、貝殻の内側に核を取り付け、さらに約11か月かけて真珠層を形成させていくといいます。

和田真珠 浜田さん

実際に核を取り付ける作業も体験させてもらいました。長い時間をかけて育てられた貝を前に、慎重に手を動かす参加者たち。「難しい」「プレッシャーがある」といった声も聞かれました。

普段、店頭で目にする真珠の美しさの裏側には、長い年月と職人の技術があります。

現場では海水温の変化や養殖の難しさに加え、真珠がつくられてから人々の手に届くまでの過程や、その価値を伝えていくことについても話がありました。

最盛期は、およそ10社の真珠会社がひしめきあっていたこの浦内湾には、200名以上が雇用されていたと言われた甑島の一大産業。残すところ1社となりました。現在の従業員数は、5名ほどになりましたが、今もなお甑島の真珠産業を支えています。

百年先の風景をつくるをビジョンに掲げる山下は、未来を語る前に過去の歴史を学ぶ必要があるといいます。

そうして、はじめて「いま」が百年前と百年後の中間地点であることを知り、island companyという存在が、未来にいかにあるべきかを問い続けていると参加者に投げかけていました。

続いて一行は、下甑島の鹿島断崖を望む場所へ。

山下は、長い年月をかけて形成された地層や、島で発見されてきた化石、自然とともに営まれてきた仕事について話しました。

また、2020年8月、甑島列島を一つに繋いだ甑大橋の開通という出来事から、島の交通や暮らしが時代とともに変化してきました。

人口減少時代における列島全体の豊かな暮らしを実現するビジョンと具体的な政策がなければ、消滅していくことは避けられず、加速度的に集落の過疎が進んでいくことについても話がありました。

夕方には、海を望む小さな宿泊施設、素泊まりステイ「niclass甑島」を訪問しました。

こうして島の各地を巡りながら、参加者たちは、山下が講演で語ったことを、島で出会った人々の営みや、各地で聞いた話と結びつけながら考える時間となりました。

「足元の宝」を見つめて、暮らしを楽しむ

夕方、再びオソノベーカリーへ。

ここからは、群言堂の創業者である登美さんを迎えた講演と対談の時間です。講演で登美さんが繰り返し伝えていたのは、「足元の宝を見つめて暮らしを楽しむ」ということから風景も仕事も生まれてくるという考え方でした。

特別なものを遠くへ探しに行くのではなく、自分たちが暮らす場所にあるものの価値を見つめ直す。

その考え方は、登美さん自身の人生とも深く結びついています。登美さんの実家は豆腐や油揚げなどをつくる家業を営んでおり、母親は働き者として知られていたといいます。

母親から教えられたのは、「人が嫌がることをしなさい」という言葉でした。
人が面倒だと感じることや、手間がかかるために敬遠する仕事の中にこそ、必要とされる役割があるということ。この考え方は、後に登美さんと夫の大吉さんが事業を営むうえでも大切なものになっていきました。

登美さんは、夫がお金になりにくい仕事を好むことについて尋ねた際、「お金にならないことではなく、お金になりにくいことが好きなんだ」という言葉が返ってきたと紹介しました。

お金になりにくいことは、ほかの人が簡単には手を出さないこと。
だからこそ、自分たちの道をつくることができる。

経済的な効率だけでは測れない仕事の価値について、参加者たちは耳を傾けていました。

「60歳まではリハーサル」。失敗も人生の一部に

事業だけでなく、一人ひとりの人生にも及びました。

高校時代に出会った恩師からは、絵を描く際に「綺麗な絵を描くな。美しい絵を描け。綺麗と美しいは違う」と教えられたといいます。

その言葉は、後に登美さんが仕事や暮らしの中で大切にする「美しい」という価値観につながっていきました。

また、足りないものを数えるより、あるものに感謝して生かすという意味でも、人との出会いもその一つです。登美さんは「人生は、出会いの総和」だと語りました。

人生の転機には、人との出会いがある。

ただし、その出会いを生かせるかどうかは、自分自身が何を大切にし、どのように生きているかによって変わってくるといいます。そして、参加者たちの心に残った言葉の一つが、「60歳まではリハーサル」でした。

登美さんは、60歳までの間にお金がないだとか、失敗や遠回りを経験してもいいのだと話します。自身も事業を続ける中で、経営の先行きが見えなくなるような苦しい時期を何度も経験してきました。

それでも、自分が信じる道を諦めずに歩んできた。60歳を過ぎると、それまで積み重ねてきた経験や出会いが、少しずつ自分の人生の中で味わい深い意味を持つようになってくるのだといいます。

だからこそ、60歳からが本番。

その言葉は、これからの人生をどう歩んでいくのかを考える、参加者たちへのメッセージにもなっていました。

暮らしがあるからこそ、世界に誇れる

登美さんと夫が石見銀山の大森町へ移り住んだのは、今から約45年前のことです。

当初は、布の端切れを使ったものづくりから始まり、やがて衣服を中心とした「群言堂」の事業へと発展していきました。店舗を構える場所として選んだのも、便利な都市部ではなく、人口の少ない大森町でした。

登美さんは、町の中心部に出店するのではなく、わざわざ足を運んでもらう場所だからこそ生まれる価値があると話します。また、大森町が世界遺産に登録される際につくられた住民憲章についても紹介しました。

「この町には暮らしがあります。私たちの暮らしがあるからこそ、世界に誇れる良い町なのです」

観光客のために町をつくり変えるのではなく、
まず住民自身の暮らしを大切にする。

登美さんは、民俗学者・宮本常一氏が語った、地域の人たち自身が風景を楽しみ、そのうえで外から来た人を仲間に迎え入れるという考え方も紹介しました。

訪れる人に見せるための風景ではなく、そこに暮らす人が楽しむ風景こそが大切である。

この話は、午前中に山下が語っていた「サイトビーイング」という考え方とも重なります。さらに、登美さんは群言堂の本社をつくった際のことも紹介しました。

建物を整える前に、敷地の中に田んぼや畦道、小川、茅葺きの建物などをつくったといいます。働く人たちが、季節の変化を感じながら毎日その道を歩く。仕事をする場所そのものが、暮らしや自然との関係を考える場所になっているのです。

「文化51%、経済49%」に込めた意味

登美さんが群言堂の経営について語る中で、印象的だったのが、「文化51%、経済49%」という考え方でした。

経済がなければ、事業を続けることはできません。

しかし、利益を増やすことばかりを優先してしまうと、本来大切にしたかった文化や暮らしが後回しになってしまうこともあります。登美さんは、夫にその考え方を改めて尋ねた際の話を紹介しました。

本来、文化と経済は50対50でもよい。

けれども、人はつい経済の側を大きくしたくなるもの。だからこそ、文化を51、経済を49にしておくのだといいます。

登美さんは、デザイナーの佐藤卓さんが表現した「素晴らしき自転車操業」という考え方も紹介しました。

自転車の後輪にあたるのが経済性。前輪にあたるのが社会性や文化性です。

経済という力を使って、社会や文化を前へ進めていく。そして、その自転車のかごには「衣食住」に加えて「美」という言葉が書かれています。

暮らしの中で何を美しいと感じるのか。

その価値観が、事業の方向を決める大切な基準になっているのです。

山下も講演の中で、経済とは本来「経世済民」、つまり世の中を治め、人々の暮らしを豊かにするものだと考えているものの、今は、経済が人々の暮らしを苦しめている側面があると語っていました。

二人がそれぞれの地域で実践してきたことには、共通する考え方がありました。

古い家を直すことで、自分たちが元気をもらう

登美さんの講演では、古民家再生の取り組みも紹介されました。

その代表的な場所が、大森町にある「他郷阿部家」です。長い年月を経た建物を、一度に完成させるのではなく、少しずつ手を入れながら使い続けてきました。最初は、傷んだ家をいたわりながら、少しずつ手を入れていくような気持ちで向き合っていたといいます。

しかし、修復を重ねるうちに、今度は自分たちの方が家から元気をもらうようになっていったと話しました。

古い家を残すことは、そこに残る素材や職人の技術、長い時間をかけて積み重ねられた暮らしを受け継ぐことにもつながっています。登美さんは、使われなくなった学校の椅子や古い木材など、役目を終えたものを生かす工夫についても紹介しました。

また、自然の中にあるものを暮らしに取り入れる楽しさについても語ります。

例えば、蓮の葉をお茶の器に添えたり、身近な植物を飾ったり。

お金をかけなくても、人を喜ばせることはできる。

むしろ、身近にあるものを使って工夫するからこそ、思いがけない喜びが生まれることもあるといいます。他郷阿部家では、炊きたてのおむすびを食べた人から、美味しいではなく「幸せ」という言葉がこぼれることがあるそうです。

幸せは、特別な料理だけではなく、湯気の立つご飯や、それをつくる人の姿に心を動かされて感じることができる。

登美さんの話からは、日々の暮らしを楽しむための視点が、いくつも伝わってきました。

観光のために、暮らしを消費させない

講演後は、山下が登美さんに問いを投げかける対談へと移りました。

最初のテーマは「生活観光」について。山下は、島の日常に触れてもらう観光を大切にする一方で、暮らしそのものが観光客に消費されてしまうことへの懸念も感じていました。

島で暮らす人の生活を大切にしながら、訪れる人をどう迎え入れていけばいいのか。

その問いに対して登美さんは、講演でも紹介した宮本常一の考え方を改めて伝えました。

まずは、そこで暮らす人たちが自分たちの暮らしを楽しむこと。

そのうえで、訪れた人に「よかったらどうぞ」と声をかける。観光客に楽しんでもらうことを最初の目的にするのではなく、自分たちが望む暮らしをつくることが先にあるというのです。

山下も、観光客が急増した時期に、疲れてしまった経験を語っていました。観光によって仕事が生まれる一方で、暮らす人たちが自分の時間を失ってしまうのであれば、それは本当に望んでいた姿なのか。

二人のやりとりからは、観光を地域の暮らしを支えるものとして考えることの大切さが伝わってきました。

事業を広げることよりも、続けること

続いて山下が尋ねたのは、「文化51%、経済49%」を実践するうえで、事業を広げないという判断をどうしてきたのか、ということでした。経営を続ける以上、売上や利益を考える必要があります。

その一方で、事業が大きくなることで、最初に大切にしていたものが変わってしまうこともあります。

登美さんは、これまでさまざまな挑戦をしてきたものの、売上の数字を増やすためだけに事業を広げようとしたことはないと語ります。

大切なのは、事業を続けること。

新しいことに挑戦し、失敗することがあっても、会社が続いていれば、また次の挑戦ができます。数字を伸ばすことだけを目標にするのではなく、何のために事業を営んでいるのかを問い続ける。

地域で事業を続けていくうえでの、率直なやりとりが交わされました。

「未完成」であることを楽しむ

対談では、「未完成」という言葉も話題になりました。

山下は、登美さんが長い年月をかけて他郷阿部家を育ててきたことに触れながら、完成させることを急がない姿勢について尋ねました。登美さんは、未完成の過程にこそ、その時にしかない魅力があると話します。

手を入れながら変わっていく建物。
その変化を楽しみに訪れる人たち。

完成した状態だけを見せるのではなく、つくり続ける過程を共有することも、その場所の価値になるのです。山下が甑島で取り組んでいる事業も、まだ完成したわけではありません。

島の暮らしや人々の関係性も、時代とともに変わり続けています。

百年先の風景をつくることは、完成した理想の姿にたどり着くことではなく、変化を受け入れながら育て続けることなのかもしれません。

「綺麗」と「美しい」は、どう違うのか

対談の終盤、山下は登美さんに「綺麗」と「美しい」の違いについて改めて尋ねました。

登美さんが高校時代に恩師から教わった「綺麗な絵を描くな。美しい絵を描け」という言葉。それは、長い年月を経た今も、登美さんの仕事や暮らしの中で大切にされている考え方です。

登美さんは、「綺麗」は表面的に整っていることであり、「美しい」には、そのものが持つ背景や中身、積み重ねてきた時間が含まれると語りました。

例えば、長い人生を歩んできた人の表情。
あるいは、自然の中で育つ野の花や、そら豆を包む鞘の形。

人が意図して整えたものだけでなく、自然の理にかなったものや、時間をかけて育まれたものにも美しさがあります。今回、甑島で見てきた風景も同じかもしれません。

そこに暮らす人々の時間や思いが積み重なっているからこそ、心を動かす風景になっているのだと感じました。

食事と音楽を囲み、対話が続く島の夜

講演と対談を終えた後は、食事を囲みながら参加者同士の交流が続きました。

懇親会では、「ゴッタン甑の会」による甑島の伝統楽器「ごったん」の演奏も行われました。

木でつくられた三味線に似た楽器で奏でられたのは、受け継がれてきた民謡だけではありませんでした。

この土地を思う気持ちから新しく生まれたオリジナル曲も披露されました。参加者の一人は、後にこの演奏を振り返り、今つくられた曲が、百年後には伝統になっているかもしれないと語っていました。

伝統とは、過去のものをそのまま残すことだけではない。
今を生きる人たちが楽しみ、続けていくことから、新しい伝統が育っていくのかもしれません。

食事や音楽を楽しみながら、参加者たちはそれぞれの地域で抱える悩みや、これから挑戦したいことについて語り合いました。

夜が更ける中、参加者と率直な言葉を交わしていました。

その一人が、ある地域で事業を営んできた参加者です。

地域で事業を続けていく中では、周囲から期待されることや、担わなければならない役割も少しずつ増えていきます。地域のために取り組んできたことを振り返りながら、自分自身はこれからどんな暮らしをしていきたいのか。そんな思いを参加者が語る場面もありました。

その話を受けて、山下も自身のこれまでを振り返り、思い出したのは子どもの頃のケーキの記憶でした。

幼少期、甑島にはケーキ屋さんがなかったものの、誕生日やお祝いの日には家族や親戚が集まり、海の向こうからやってくるケーキを囲んでいました。

その時、心を動かされたのは、ケーキを食べること以上に、ケーキをつくる人がいることによって周りの人たちが笑顔になっていることでした。

自分が食べて幸せになるだけではなく、
何かをつくる方が、たくさんの人を幸せにできる。

その感覚が、今の仕事にもつながる原点だったのではないかと、山下は振り返ります。

自分は何に喜びを感じ、何のために働いているのか。昼間の講演とはまた違った距離感の中で、地域に向き合い続ける人たちの率直な対話が交わされていました。

参加者が持ち帰る、それぞれの問い

夜には、参加者から今回のセッションについて話を聞く機会もありました。

漁師の仕事を学んでいる参加者は、島の漁業や暮らしに関心を持って参加したといいます。現場を巡る中で考えたのは、経済的な効率と、そこに暮らす人たちの幸せとの関係でした。

また、登美さんの話を通して、これまで十分に価値が見いだされてこなかった魚にも、別の可能性があるのではないかと考えるようになったといいます。

一方、医療関係の仕事に携わる参加者は、以前、離島関連のイベントに参加したことがきっかけで甑島を知り、今回のセッションへの参加を決めたそうです。

地域で何かを始める前に、その土地の歴史や人々の声に耳を傾けること。そして、日々の暮らしの中で続けられていることが、やがて地域の文化になっていくこと。ごったんの演奏も、そのことを考えるきっかけになったと話していました。

同じ場所を巡り、同じ話を聞いていても、受け取るものは一人ひとり異なります。それぞれが、自分の仕事や暮らしに重ね合わせながら、甑島での時間を振り返っていました。

島を離れる朝、参加者たちが語ったこと

翌朝、島を離れた参加者たちは、帰り道に1泊2日の滞在を振り返りました。

ある参加者は、事業の仕組みなどを具体的に学ぼうと思って参加したものの、実際には島で過ごした時間そのものに心を動かされたと振り返りました。また、島で感じたことを、自分の地域で一緒に働く仲間たちと、どう分かち合うのか。そんな問いが生まれたといいます。

別の参加者は、登美さんと山下の二人に対して、誰かから借りてきた言葉ではなく、自分自身の経験や思いを、自分の言葉として表現している。

だからこそ、自分も二人の言葉をなぞるのではなく、自分自身の物語をつくっていきたいと話しました。

また、ある参加者は、登美さんの「60歳まではリハーサル」という言葉が心に残ったといいます。40代を人生の折り返し地点として考えていたものの、60歳からが本番だと思えば、これからの時間の捉え方も変わってきます。

さらに、参加した学生からは、自分の問いに大人たちが本気で向き合ってくれたことが印象的だったという声もありました。年齢や立場に関係なく、それぞれが感じたことを言葉にし、互いの話に耳を傾ける。

その時間にも、今回のセッションが大切にしていた対話のあり方が表れていました。

どのように働くかよりも、どのように暮らしたいのか

最後に言葉を紡いだのは、今回の案内役を務めた山下でした。

大切なものを守ろうとすることを「きれいごと」と笑われた悔しい思いをした過去の経験を振り返ります。それでも、島に暮らす大人たちがきれいごとを語らなければ、誰が理想を描き、実現していくのか。

そんな思いを抱えながら、島での仕事を続けてきました。

一方で、今回の時間を通して、自分自身のあり方も問い直したといいます。

これまで島の未来を考え、さまざまな事業に取り組んできましたが、難しい問題に向き合ってきたこともあって、眉間にしわを寄せるようにして生きてきました。

あらためて、自分の足元にあるものや、そして、自分自身も心から幸せだと思える生き方を選び、地域の未来も笑いながら育てていきたい。

地域の未来を考えることと、自分自身の人生を楽しむこと。

その両方を大切にしながら、キレイゴトから美しい風景をつくっていきたいという思いが伝わってきました。

そして、最後にこんな言葉を残しました。

「どのように働くかよりも、どのように暮らしたいのか」
「新しく何かを作る前に、ここにあるものは何なのか」

甑島で出会った人々の仕事や暮らし、自然の風景など。どれも、この島にとっては日常の一部です。しかし、その一つひとつに目を向けることで、これから残していきたいものが見えてきます。

百年先の風景をつくることは、一人ではできません。

しかし、遠い未来の理想を描きながらも、今、自分たちの足元にあるものを見つめ直すことから、たった一人から始めることができるのかもしれません。

甑島で過ごした1泊2日。参加者それぞれが、自分の暮らしに立ち返る時間となりました。

取材・執筆・撮影:上 泰寿(ケアの編集者)
資料提供:松場 登美(群言堂)

Special Thanks :
薩摩会議2026、NPO法人薩摩リーダーシップフォーラムSELF、和田真珠、藤丸

Share LINEでシェア