COLUMN 2022.05.08

儲けた金は、文化につかえ

今からおよそ13年前のこと、京都の芸術大学で環境デザイン学科を卒業した私は、京町家の再生や景観計画などにも取り組む和柄の雑貨品メーカーで社長企画室に配属されてプランナーという肩書きをもらいました。毎日、慣れないスーツをきて、ネクタイを締めて、革靴を履いて、満員のバスで通勤する(いや、時々寝坊して、慌てふためいて冷や汗を拭きながらタクシーに乗る)会社員をしていました。

信じられないでしょうが、サラリーマンできるんです(笑)

当時は、自分の要領の悪さも手伝って、深夜まで残業というのは珍しくなかったし、30日連続勤務という月もあったけれど、それでも仕事自体は、全く苦にもならなかったし、1日足りとも休みたくなかった。

それぐらい学びたかったし、経験が欲しかった。誰から言われることなく、自分の都合で残っていたので、残業代も請求した記憶がないのですが・・・さすがに時代は、令和です。今では、自分自身が雇用主になり立場が変わり、そういう無茶な働き方はスタッフにさせたくないので、現在のisland companyは、変形時間労働制ですが、閑散期は完全週休二日となっています。また、勤怠管理についても全てクラウド化されて、1秒単位で残業代を支給しています(笑)

あの頃は、楽しかったと思い出すのと同時に、自分自身の仕事の出来なさが苦しかった日々でもあるのですが、社長企画室という部署であって、当時の社長の後ろ姿を身近に追いかけることができて、それは今思えば、幸せなことでした。社長自身は、多くは語らないのですが、私にこう言ってくれたことがありました。

「儲けた金は、文化につかわなあかんで」

京都という街は、今生きているわしらが作った街と違う。先人たちが、「京都」という街を遺していくために町衆の一人一人が努力をしてきたその上に、わしらが今商売させてもらってる。せやから、わしらも次の世代のために京都いう街が、京都であるように、京の文化をのこさなあかんのや。

その言葉通り、毎晩のように祇園の街に向かう社長の背中を追いかけたあの日が、懐かしい。それからしばらくして、私は、お世話になった会社を辞めて甑島に戻ることにした。

「いつか、何かできるようになったら帰ろう。」そう思っていた私でしたが、その言葉の意味を裏返すと、今の自分には何もない。と、自分で自分の存在を否定していたような気もします。いつか何かを得た時に、錦を飾るがごとく故郷に帰ろう!ではなく、たとえ未完成で未熟な自分であったとしても、今の自分を受け入れて、島に帰って、その姿を見せながら生きていくことが大事なことのような気がしました。

儲けた金は、文化につかわなあかんで。その言葉は、今でも私の事業の礎にある言葉の一つです。「儲けた金額で競うことも大切だが、もっとも大切なのは、その儲け方。」プロセスや、その使い方に人格というものは、現れる。それを「粋」と呼ぶのかもしれない。まちづくりってのは、特別な誰かがやるものではなく、その街に暮らす町衆一人一人の粋でやる。そのことを深く教えられた日々でした。

書いた人

山下 賢太

代表取締役

山下 賢太/ KENTA Yamashita

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