すべての物語は、ひとりからはじまる |鹿児島離島文化経済圏|山下賢太

2024年1月1日、能登半島での震災が発生したあの日、進むはずだった新年という希望の時計は、未だ止まったまま。誰もが、昨日より今日。今日より明日を願うはずだった、その日。
わたしの脳裏に浮かんだのは、能登の仲間はもちろんですが、これまで出会ってきた鹿児島の島々の友人たちが、汗と涙で泥まみれになった顔でした。「失いたくない。」そんな感情が、自分の奥深いところから湧き上がってきたのは、初めてでした。しばらくして、能登に暮らす友人たちから連絡が入りはじめる。
半島の先や、山あいの限界集落の災害支援が遅れているーー
半島でさえそのような状況。もしも、遠く離れた島々に、同様の災害が発生したら目も当てられないだろう。海に隔てられた外海離島の自助には、限界があるからだ。遠く離れた能登半島に駆けつけることはできず、自問自答した。
SNSをひらけば、小さな村はこのまま閉じたほうがいいとか、人口が少ない集落のインフラを整備し直すことは、税金の無駄だとか。お金は、過疎地ではなく、もっと人が集まるところに使うのが有益だとか。その土地を守り、その土地をつなぎ、そこで生きようとする人たち、あるいは、そこで生き続けてきた先人たちの声は、一瞬で過去になり、まるでどこにも存在しないかのような論争に辟易した。
そこに生きてきた人がいるんだよ。
生きようとする人が、いるんだよ。
そんな私の叫びにも似た、小さな声は届かない。
それが、悔しかった。
都市部に暮らすインフルエンサーの前に、リアルな村社会で生きる私は、コメンテーターでもあるまいし、そうした自分の無力さと対峙するしかなかった。これまでを振り返れば、確かに甑島という鹿児島の小さな島から数々の挑戦はしてきたし、対外的な評価もいただけるまでになったけれど、それでも、大きく社会を変えるような力は持っていないと自覚している。
大きなお金もないし、知識も足りないし、経験もまだまだ。40歳を目前にして、夢とか目標とかそんな甘酸っぱい物語は、諦めたほうがよさそうな理由なんて数え出したらキリがない。ただ、これまでの人生を振り返ってみると、何者でもなかった持たざる自分を、たくさんの人が応援してくれたし、面白がってくれた。深く愛してくれた。
今、人生80年の折り返し地点に立とうとしている。
私がここからやるべきことは、これまで出会ったすべての人たちへの恩返しだと思っているし、これから生まれてくるこどもたちへの贈りものでありたい。でもまぁ、それだけ聞くと、ちょっと優等生的な発言かもしれないけれど、決してそんなことはないのだ。
私は、もっともっと自分勝手に皆を巻き込んで、まるでミステリーツアーに向かうような船を漕いで行くことになると思う。後々、何が恩返しだよ!大きなエンジンがついた船かと思ったら、手漕ぎの船じゃねーか。めちゃくちゃ大変なことに巻き込みやがって「ケンタのバカヤロー」という嬉しそうな笑い声が、すでにかごしま島嶼ファンドという船に乗った皆さんから聞こえてくる。そんな間柄で、自分勝手に応援し、支え支えられ、頼り頼られて生きていく。自分の人生なんだから、誰にも言い訳しないよ。
誰かに愚痴を言っている暇などないくらいに、
そんな人生の愛すべき、後半戦を期待している。

後世に伝えたい、温帯から亜熱帯まで南北600km、28島の島々の風景とおよそ15万人の豊かな暮らしぶり。そして、何よりそれを守り、育て、後輩たちに繋いでいこうとする仲間がいるから、私は、どうしても綺麗事を諦めたくないと思うのだ。
やるべきことをやらねばならぬのだが、綺麗事は、綺麗なこと。だから、まずは自分自身が、諦めの悪い大人になろうと思う。理想を諦めない大人は、今は一人じゃない。この財団には、それを実現しようとする小さな力が、どんどんどんどんと日に日に集まってきている気がする。だから、ここから先、「私」ではなく、「私たち」は、たくさんの諦める理由を挑戦する者たちから無くしていく。片っ端から。
お前には無理だよ!と、何かを諦めさせられてきた大人たちは、今度は、自分より若い誰かや弱い立場にあるものをお前も無理だよと、諦めさせようとする。そんな負の連鎖する場面を短い人生の中でも何度かみてきたから、それは、多分本当だ。けれども、それが社会の全てではない。それもまた、事実である。
この財団という船には、一度は、自分の夢を諦めた人も、ステージが変わった人も、まだ何者でもないと思っている人もいる。でも、それは単に役割の違いと成長の時間軸の違いに過ぎないのだ。
誰一人欠けても、うまく船は前に進まない。
過去には、私自身も夢に挫折したひとりだった。頼れるものを失い、どう生きていいかわからなくなった。それでも、その時、持たざる私のことを信じてくれる大人たちがいた。だから、そんな自分を信じないで生きるってことは、その時に手を差し伸べてくれた人や、言葉をのこしてくれた人、頭を下げてくれたひと、信じて待ってくれたひとたちへの不義理なんだと思う。だから、今でも前を向いて笑っている。
幸せであること。それが、あの時の自分を信じてくれた人たちへの最大の恩返しだから、今日も自分勝手に笑いながら生きていく。
ねぇ、そこのきみ。
信じられないだろうけど、あなたの近くにいるおじさんたちも、おばさんたちも、昔はみーんな若者だったのよ。おほほ。若い時は、全ての大人たちが敵に見えるもの。でもさぁ、よくよく考えてみたら世の中、嫌な大人ばかりではないでしょう?あなたのこと、応援している人まで傷つけちゃいけないよ。
20代の時の自分が、この言葉を聞いたら驚くだろうね。歳を重ねるってさ、楽しいものよ。あはは、おほほ。ってな感じで(笑)、白髪頭になっても、いつまでも若者たちを応援し、自分自身も新しい世界に挑戦し続ける若い気持ちで毎朝を目覚めたいもの。
新世界への艀になる
艀=はしけ
今みたいに、港湾が整備されていなかった時代は、大きな船を島につけることは、容易ではなかった。沖合で停泊して、さらに小さな小舟に乗り換えて、人もモノも家畜も、浜まで渡したものです。
島という世界への入り口も、本土という都市への入り口も、艀があり、信頼できる船頭がいることで、行き来することができたのだ。誰かの「渡りたい」「叶えたい」という思いが、私たち財団というはしけを突き動かす。
この先は、我慢ではなく、笑って生きていくこと。愛すべき人たちと生きていくこと。大きなものも小さきものも。ともに美しくて豊かな社会を実現するために、想いが集まってきている。大きな宝物のような財宝を積み込んだ船を、未来の子どもたちのためにつくろうと思っている。その橋渡しが今、必要だと思う。

財団にとって「財宝」は、お金だけではない。
たった一人の存在、もの、お金、情報、居場所、関係性、信頼を資本とする全てのものが、この財団の資本であり宝物である。友人のひとり、ADDressの創業者である佐別当隆志さんが言ってくれた「この挑戦は、資本主義的なベンチャーキャピタルではない。わかりやすい社会的インパクト投資でもない。いわば、コミュニティキャピタル。社会を一緒に変える、切符。」なんだと。ここから先は、想いとお金も巡る、小さな世界と小さな世界の連なりをつくる片道切符だと、私からもつけ加えて言わせてほしい。
小さな組織、小さな自治。小さな島と、小さな集落。
少しばかり大きくなりすぎたように思う手触り感のなくなっていくこの社会の中では、小さいことは、誰の役にも立たず、なんだか誰一人救えないような気がしてくるし、少ないエリアは、廃村したほうが良いという声も上がるほど、僕らの暮らしている島々は、社会のお荷物扱いもされている。
ちなみに、私だってその気持ちがわからないでもない。それは、今の社会システムや経済合理性や生産効率を優先して生きていくのなら、多分、島とか過疎地域は、やっぱり厄介者なんだろう。でもね、少しだけ耳を貸してほしい。ここから100年以上日本という国は、農村や漁村、離島に限らず、都市だって人口減少していくし、ずっと大都会だと思っていた
あの「東京」でさえも、この2025年を境にして、人口減少と少子高齢化が始まろうとしているのだ。信じられないだろうけど、これは、本当の話だ。

少ないからなくなればいい。
小さいからなくなればいい。
それは、本当にそうなのか?
東京(= 都市部)も今後は、人が少なくなっていくし、高齢化も進んでいくし、小さくなっていく。だから、東京も巨大なインフラを維持するのは大変だからなくなればいい。だなんてことは、あの日、小さな村はなくなれば良いと都市に暮らしながら言っていた人は、きっと想像していないのだろう。少々飛躍しすぎている言い方だけれど、その先には、日本はなくなればいいにも繋がっているような気もする。それは、想像力の欠如に他ならない。
私は、小さきものや、少なきものも生きられる社会のシステムや関係性のデザインとその選択肢が必要ではないかと思っている。現在の社会システムを変えようとせず、維持しようとするから次から次へと目の前に課題がやってきては、悩みが尽きないのだ。
ここからの日本社会は、中央集権的なものを起点とするのではなく、小さきものたちと小さきものたちが頼り合い、支え合ってそれぞれの自治を守り育てていくある意味では、中央を持たない自然環境に習うエコシステム的な相互補完し合って生きる未来への転換点を作っていく必要があると思っている。
そんな風に考え始めると、世界や身近な場所で起きている不自然さが、面白く見える。ただただ、人間は、人間自身が作ったシステムに苦しめられているだけなのだ。そんな動物が自然界にいるだろうか?
今後は、既存の都道府県や市町村という行政的な仕組みでさえも、いつかは変化せざるを得ないだろう。人間中心の、人間本位で人間をコントロールしようと人為的にヒエラルキーを作り出したようなピラミッド構造の縦割りにはいずれ限界がくる。
現在、国の潮目を感じる選挙という仕組みでさえ、しっかりと機能しているのか怪しいなと思うことがすでにあちこちで起きている。政党政治や政治団体と呼ばれるように、群れになることもある意味では、「自然」のことではあるのだけれど、それが行き過ぎた社会は、分断を生み出し、たった一人ではうまく機能しないシステムを人間は、許してしまった。私たちも、知らず知らずのうちに、たった一人では、物事を変えることが難しい空気を図らずもこの国に作ってきてしまった一人なのだ。
ただ、決してそうしたことを悲観するものではなく(いや、正直ちょっぴり悲観はしちゃう・苦笑)、私たちは、今、次の社会への扉の入り口に立っているんだということを自覚したい。
人口減少や少子高齢化が進んでしまったこと。もちろん政治の功罪は、それなりにはあるだろう。けれども、決してそれらは、社会における悪ではないと思う。ここから100年以上人が減っていくのに、変化しようとしない私たちの暮らしぶりの方が、よっぽど悪ではないかと思えてくるからだ。だから、この先は、
人が減りゆく社会ではなく
一人一人が大切にされる社会である
人間万事塞翁が馬 ー
少子高齢化や過疎などのあらゆる社会課題も、一見その時は不運と思える事象や出来事も、そのことがのちの幸運につながったり、その逆もあったりする。今の日本や島々の状況をわたしたちは、不運か幸運か?と、容易に判断するのではなく、新しい社会への入り口だと認識し直すことが大切だ。
さて、新しい扉は、誰が開けるのか?私たちは、「社会を変えるではなく、新しい選択肢をつくる。」その想いで、鹿児島離島、28島22自治体を越境する、地域コミュニティ財団という、これまで誰も成し得たことがない新しい自治と新しい共同体のような船を出航させる準備に余念がない。どうか、このnoteを読んだあなたへ。
2025年7月18日23:59が、
財団設立賛同寄付の最終日です。
小さくて力強い、支援を共にーー

島を想う仲間たちや、
これから生まれてくる子どもたちへ
まだ見ぬ未来のこどもたちへ。
あなたは、たまたま少し先に生まれた先輩たちが作った社会に生まれてきました。現在は、地方創生という言葉をはじめとして、さまざまな地方のビジネスも生まれてきています。そんな中で、社会課題の解決がもてはやされていますが、それも人間が作った不自然なものです。決してあなたの人生は、課題解決のために生まれてきたのではありません。惑わされることなく、あなた自身が、信じるより良い社会と道のために、私たちの綺麗事を土台にして、次なる社会を切り拓いてください。そして、願わくば、あなたの次世代のこども達が、そのバトンを受け取りたくなる社会にほんの少しでも構わないから、近づけてほしい。
私たちは、小さいことや、少ないことで、自分の未来や島の可能性を諦めてしまわないように、共に走る財団をつくっています。お金の支援はもちろんのこと、共に支え合い、共に泣き、上り坂でさえも、共に笑いながら走ってくれる仲間がここには、います。
すべての物語は、ひとりからはじまる。
私たちを突き動かすものは、いつだって希望です。
島という辺境の地は、80 年先の日本の縮図。人口減少・少子高齢化、あらゆる課題が山積している島も、是とする世界が変われば、そこは最先端。私たちが向き合っているものは、「課題」ではなく、少し先の未来にある「希望」なのかもしれない。
小さいと笑われても、少ないと笑われても。
たった一人を信じて、小さな想いを灯していけば、
その小さな灯火は、また誰かの明日を照らす。
人が減りゆく社会において、まだ答えのないものに直面しそれでも諦めずに生きようとする懸命な人々のために、私たちは、挑戦のよりどころとなる財団を、みんなでつくりたい。

Islands have a dream. ー島には、夢があるー
どうか、皆様の小さな力を、ここに灯してください。
設立にあたり、最後のお願いです。共に走る財団、島嶼基金。この先、ともに島を想い、ともに未来をつくっていく。わたしたち財団と、一緒に島特化型の地域コミュニティ財団設立に向けて走ってくれませんか?
日本の未来を、島からはじめる

共に走る、財団
かごしま島嶼ファンド設立準備会
発起人代表 山下 賢太
書いた人
