お知らせ COLUMN 社長コラム 2023.10.16

新たな島の指標が必要なんだろう

先日、屋久島の二次離島と呼ばれる、島からさらにフェリーで約1時間40分、人口93人の口永良部島に行ってきた(令和2年国勢調査)。昭和25年頃には、2,400人が暮らしていた島だが、現在では、人の数より野生の鹿の方が多いといった島だ。そこに数年前に移住してきた若者と一緒に、噴火や土砂崩れなどをきっかけに廃村してしまった集落を巡りながら、ちょっとだけ先の口永良部島の今と未来を考えた。

ひとの命と同じように、集落にもいのちがある。

朽ち果てた集落を眺めながら、今日の頑張りは、いつか終わってしまう物語の中にあるものなのか。それとも、たったひとりからはじまる挑戦が、島の再生の兆しとなり得るのか。そのどちらが、自分自身の人生にとってあるいは、後世のためのハッピーエンドなのかわからなくなったのが正直なところ。自分の中での答えは持ち合わせていないけれど、時代が変わり続けるなかで、答え合わせばかりしようとすることもやめようと思う。

今を生きる。その若者がたった一人でもいることの意味は、
未来の子供達が評価するのだろう。
そこには、小さな灯火のような希望がある。

93分の1である、現在の「ひとり」の意味が大きすぎる島のリアル。たった一人が全人口の1%以上を占めているというのだ。廃村となった集落だけでなく、人家のすぐそばにも放置されているあちこちの空き家を横目にすれば、この島が今どういう状態にあるのかは手に取るようにわかる。

島の人々は、ここには、仕事がないという。よくある地方の声だが、僕には決してそう思えなかったし、多くの人たちが生き生きと働いていた。仕事がないという状態は、それさえも世の中の誰かの指標によってつくられてしまった経済の論理や仕組みのことで、それに合わせて生きていこうとするから、この村は貧しく、過疎が進む人口減少の島だと認識をしているだけだ。

私は、そもそも仕事というものは、誰かが用意してくれるものではなく、自らでつくりだすものだと考えてきた。今、世の中にある全ての仕事の始まりが、誰かのためにどこかの誰かがたったひとりから創り出したものだということを忘れてはならない。大企業と呼ばれる何千人、何万人もいる会社もたった一人の一歩から始まっている。

私たちは、過去の誰かの苦労と喜びの上に成り立ってきた社会と、その仕事そのものの消費者になってはならないと思うのだ。

僕らは、ともに創る。

島の中でであった、島のコミュニティではないところからの情報の多くが、テレビと新聞といういわゆるマスメディアからの情報だった。ここではないどこかの世界の話に一喜一憂する。今、この時代にテレビや新聞といった大衆向けの情報を、島という隔絶性の高い場所から取り上げてみるとどうなるだろうか。(マスメディアの方々すみませんね、、、)

それは、きっと「比較ができない世界」なんじゃないかとわたしは、思う。そこには、上も下もなく、良いも悪いもない。不満も不足も、比較から生まれているから、比べる他者との情報がなければ、そもそも比較しようがない。結局は、ここではないどこかや誰かとの比較の中で、苦しんでいるところがあちこちの島にも地域にもあるのだろう。これからの時代に求められることは、比較ではなく肯定するチカラ。

目の前にある島に目を向ければ、厳しくもあり、豊かな海があり、山があり、火山があり、川があり、谷があり、田畑があり、鹿や山羊や牛もいて、風が吹く。そして、そこに暮らす人たちの顔と名前のわかる99人と歌や踊りを共有し、あるもので生きていく。

必死に働いて、お金を増やして、手に入れたいものは、何だろうか。この時代における繁栄とはなんなのか、この島における幸福とは何なのかを再考しながら、比較だけでなく、肯定していけるような新しい指標が必要なんだろう。日本人は、関係性の中で生きている。個々で成り立つものは、何一つないのだから。島というある意味で隔絶性の高い場所で、人が生きる境界ははっきりとしている。ここに生きている人と人、人と自然。そもそも自然と人は、二項対立するものではない。人も自然なのだ。そうして頼り合える関係性を作って自分らしく生きていく島の未来。

ここにある環境文化を大切に、島のいまを生きていく。

書いた人

山下 賢太

代表取締役

山下 賢太/ KENTA Yamashita

Share LINEでシェア