どうか隣にいてくれる人たちに、一番に笑ってもらえる人生を。
今日は、義父と叔父の初盆だ。
甑島に戻り、そのあいだに3人の祖父母と義父、叔父。5人の家族の死に目に居合わせることが出来た。島に生まれ育ち、病院のベットではなく、慣れ親しんだ故郷で死にたい。家族に見守られて、自宅で最期を。その想いを叶えることできた、お義父さん。多くの人たちの理解をいただき、自宅で看取ることができた。
本土の病院と自宅を行き来した4年以上の闘病生活。
婿として決して、後悔がないわけじゃない。
もっとできたことがあったかもしれないとも思う。
義父は、創業まもない頃から、一緒に田畑へ出かけ応援してくれた、
よき理解者であり、仲間であり、たった一人のお義父さんである。
だけど、どんなに願っても、昨日に戻ることさえ叶わないのだ。いつだってその時は、それが最善だろうと思っているのだけれど、のちに気づいた後悔も受け入れながら生きていく。
後悔先に立たず
そうだなぁと思う一方で、後悔は先に立たないから、後悔しないように生きていくんだ。という意味ではなく、例えあとあと後悔するようなことがあったとしても、それを受け入れて生きていく準備をしなよ、と優しく教えてくれているんだと解釈している。
それを受け入れるってのは、本当に苦しい。
縁の中で生きてきた、縁に生かされて生きてきた。
ここにある縁を大切に今を生きていく。
お盆には、帰省客で賑やかになる故郷だけれど、
もう明日には、少子高齢化の進む侘しい故郷に元通り。
昔ほど魚も貝も獲れないし、子供たちは帰ってこないし、空き家と更地と抜け殻になった墓の跡も増えていく。まるで、この島から、この土地から、見えない「縁」がプツリと切れて行くよう。
それは、またいつか繋がることがあるかもしれないし、永遠につながることはないかもしれないし、新しい縁に触れるかもしれない。それは、私には知る由もないことだけど・・・
出会うべきものと出会っていくには、人の縁はもちろんだけれど、自分自身の生き方や在り方次第なんだろうなとも思う。どんな過去だったとしても「過去の出来事を変えることはできない。けれども、過去の意味を変えることはできる。」だから、わたしたちは、誰でもなく、誰のせいでもなく、自分で、いい明日を迎えに行かなければならないのだと思う。
誰かに助けを求めることも含めて、
それを決めるは自分だ。
今日は、送り盆。今、自分がここにいる意味。
自分の周りにいてくれるスタッフたち。そこに導いてくれた先祖たち、スタッフの家族や先祖に感謝して、今の私を支えてくれるたくさんの人たちに感謝しながら笑って生きていきたい。命ある限り、この土地との縁がある限り、私の隣にいてくれる人たちに、一番に笑ってもらえる人生を。
いつの日か、もう一度この島らしい
島の風景が戻る日を迎えにいこう。
そして、送り盆の今朝。
この1年、自分がやりたいと思い巡らせていたことを、ふと思い出したんだ。
でもそれは、あの世からのメッセージのような気がしたんだ。ケンタ、それでいいんだ。それをカタチにしていくんだ、ってね。
撮影中も電話がかかってくる父であった・・・
みな、メールにしてくれ笑
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