COLUMN 社長コラム 2022.12.24

ここにあるもの、それが一番未来に近いところ。

空き家になり、やむを得ず20年以上放置されてしまっていた家財道具の整理が忙しい。毎日やれるわけではないので、あちこちの物件が一年、二年がかりになっている。そんな中でも、ことあるごとに集落の方々からのお手伝いをいただいて、空き家の中だけでなく庭の手入れや粗大ゴミの整理などもお手伝いいただき、家も草木も心なしか元気になってきたような気がします。

空き家を手がける時、自分の中に決めているルールがあります。

それは、なるべくその土地の塩や米、焼酎で土地の神様を清めてから最初の作業は、自分一人でやるということ。これが、想像以上に孤独で苦しいのですが、自分自身の内省、この場所に対する畏敬の念や人とのご縁について、そして生への感謝。無常な時の流れ、家族の歴史と関係性、その土地が持つエネルギーと集落の文脈。目には見えないけれど、一人で黙々とやるからこそ、大切なものたちと向き合うことのできる時間。本当に、自分に再生できるのだろうかと手を動かしながら、ふと考える。

覚悟とは、初めからあるものではない。この土地に関わりながら、自分の内側にゆっくりと、深く、育っていくようなものだ。そうして、初めてこれからのことについて、自分以外の誰かと共有する覚悟ができる。

一人で動き出すと、必ずその土地の反応があります。

いろんな時計の針が動き出すことに敏感になっていく。この土地も、沢山の人たちの手を借りて、ゆっくりと復興に向かっていく。けれども、辺りを見渡せば進み続ける過疎という現実は変わらない。ここにある「ムラの兆し」と過去からやってくる「ムラの文脈」を読み解き、いかにして小さな起点をつくり出して行くのかを私たちは、未来の子どもたちから問われるような気がして、自問自答する日々が続いています。

結局、闘っているのは、他の誰でもなく自分自身の限られた人生における葛藤。甑島列島に残された集落の美しさを守りたいという想いだけでは、大切なものは、守ることも繋ぐこともできないことに何度も打ちひしがれながら、

それでも、今日も甑島を行き来している。

未来は、どこからやってくるのか。

人は、地域の未来のことを考えるとき、ここにないものや新しいものをつくろうとする。けれども、私は、「島には、何もない」という嘆く前にやるべきことは、遺されてきたものの上に私たちの暮らしが成り立ってきたことを認めることだと思っている。たとえ不自然だったとしても。

大きな流れの中で、私たちは生きている。それが上向いているのか、そうでないのか。それを機敏に感じ取りながら未来への点を打っていく必要があるのだと思う。過去と向き合い、それを受け止めること。受け入れること。

今を生きる私たちに、過去の出来事は変えられなくとも、その意味を変えていくことはできる。それが、私たちに託されている。ここにあるもの、ここに流れくる文脈。

それが、未来に一番近いところ。

書いた人

山下 賢太

代表取締役

山下 賢太/ KENTA Yamashita

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