KOSHIKI FISHERMANS Fest 2016|甑島|漁師に会える コシキフィッシャーマンズフェス

おいしい風景

2016年11月09日

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2016年11月19日(土)上甑島の中甑港特設ステージにて
KOSHIKI FISHERMANS Fest 2016が初めて開催される予定だ。

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「あっかぁ、なんがしたかと?」

甑島の漁師にスポットを当てた、甑島らしい漁師フェスをしたい。と口にした時、「お前はいったい何がしたいんだ」何度も何度も同じように繰り返し投げかけられたその一言。何度も何度も自分の中を巡り、寝ても覚めても「自分は、何のためにするんだ」と自問自答する日々が続いている。
漁師でもなく、漁協職員でも、水産関連の会社員でもなく、船など持っていない、ましてや釣り竿一本さえ持っていない、そんなわたしが。

答えはまだ、わからない―
今から6年前の11月、京都の会社員を辞めてこの島に戻った私は、祖父に教わりながら農業をはじめた。そのときに、自分自身と約束したことがある。

「できない理由を、自分以外の誰かや、何かのせいにしないということ。」そして「島という環境を言い訳にしない。」ということ。それらを裏返せば「できる理由を積み上げていく」ことで「島だからこそできることに光をあてていくこと。」

今、振り返ると、そういう6年間だったようにも思う。
私は、鹿児島県にある有人離島で最も高齢化が進む「甑島」という地域の未来に、どうしても希望の光をみたかった。それは、決して特別な感情などではなく、我が子にすくすくと健康に育って欲しいと思う、親の心となんら変わりはない。島のこれからを想う気持ちだ。

私は、この島に助けられ、この島に育てられてきたのだから、きっと自分の中に甑島が生きている。そんなふるさとは、この先もずっとずっと美しいふるさとであって欲しいと素直にそう思っている。30歳を過ぎたオトナが言うことじゃないのかもしれない。綺麗事だけでは、世の中は成り立たないのかもしれない。ましてや、離島のハンディキャップを挙げればきりがない。それでも、やっぱりこの島を諦めたくないし、ここが希望で溢れるまちであって欲しい。
それを実現するのはだれか。
それは、わたしであり、私の周りにいる仲間たちであり、そしてこれを読んでいるあなたでもある。

例えば、甑島というひとつの「船」。私たちは、まさにいまその船に乗っている。刻々と移り変わっていく荒波の中で、舵をとりつづける。荒波のなかで舵をとらない船は、再び港へ戻ることはできないだろう。今のところ、その船の行く先を知っている者はいない。

それは、市長であっても、県知事であっても、一国の総理大臣であっても同じことだ。誰にもわからない未来を祈り、切り拓いていくことはとても尊いのである。誰も知らない、甑島の未来も。
今から15年前、私は16歳の少年で無職だったー
JRAの騎手になるという夢を失い、まるで全ての未来までも失ったかのようにただ闇雲に時間だけが過ぎていった。あの、忘れがたき絶望の日々に自分の居場所をつくってくれた島の先輩は、まさしく「漁師」だった。今でも感謝している。私はもう一度人生をやり直すため、夜中はきびなご漁船に乗り、昼間はひとつ下の学年と机を並べて2度目の中学校へ通った。

それから、鹿児島、京都と移り、しばらくして甑島に戻った6年前。島では、数少ない若者のひとりだった。建設現場の作業員として、漁協の事務職員として、役場の臨時職員として、福祉施設の介護職員として、色々な職場からお声をかけていただいたにも関わらず、そのほとんど全てを断った自分がいた。あのときは、自分の言葉足らずで誤解を招いたのかもしれないと、今頃になって少しだけ反省している。

ただ、24歳のあの頃の自分には、自分の気持ちを説明する言葉を持っていなかったし、そうやって退路を断つかのように自分自身を奮い立たせることが正しく思えていたのだ。一度、16歳で挫折を味わっていた自分は、お金のためだけに自分の時間を切り売りしたくなかったのだ。それはもう、私のことを心配してくださる方々に対して、ずいぶんと可愛くない人間だったのだと思う。

そんな私が唯一、島に戻ってから勤めたことといえば、きびなご漁船の乗組員だった。5月、6月のきびなご漁の最盛期だけ、第一次産業ならと再び甑島の海へ出ることに決めたのです。しばらくして、私は山下商店をはじめるのですが、そこでも、魚を獲るところから、輸送、本土の市場への水揚げ(阿久根、鹿児島)、セリ、そして仲買人と流通、小売。その現場を生で感じてきた6年間が、今回のコシキフィッシャーマンズフェス開催への想いに繋がっている。

「海のことは、漁師が考える。」

「島のことは、島に住む者が考える。」

昔から言われてきたその言葉とは裏腹に、気がつけば、人材も資本も、多くのものが島の外に流出し続けている。「ふるさとは遠くに在りて思ふもの」。そのふるさとは、近い将来消滅していてもおかしくはない状態になっているのだ。

高校は無く、高齢化率は50%以上、それは、大きな社会構造の変化や人間の寿命が劇的に伸びない限り、およそ20年で人口が今の半分になるという数字です。いわゆる限界集落も多数ある甑島列島において、もはやそれは遠い未来の話ではなくなったのです。そんな風に考えたとき「漁師じゃない自分」も一緒に考えることで、地域ののびしろのようなものになれたらいいなと思いました。

できない言い訳よりも、できる理由を積み上げていく。
この島だからこそできる、地域固有の魅力や本質的な価値を高めていく。

近年、甑島漁業協同組合は、里漁業集落・長浜漁業集落と相次いで農林水産大臣杯にて天皇賞を受賞してきた。持続可能な漁業を目指した水産資源の管理「漁師の約束6ヶ条」や集落団結して行う水産資源の利活用。どちらも、全国で注目されるべき漁師集団であることは間違いありません。私は、ものの品質だけが評価されたのではなく、その魚を獲る漁師の考え方という「生き方」が評価されたのだと思うのです。

でも、そんな「すごく格好いい」漁師たちが甑島にいることを世の中の人々は、どれほど知っているだろうか。きちんと漁師さんの暮らしは向上しただろうか。

世界の漁業先進国では、資源管理や保護、保全は「当たり前」の域に入っている中で、日本ではまだまだその意識が高いとは決していえない。そんな中で、いち早く水産資源の管理に取り組む、甑島という島の漁師さんたちは、紛れもなく世界に通用する格好いい漁師の背中なのだ。

昨日のきびなごは、1箱3,000円だった。でも、今日は、3万円だった。同じ海域で、同じ漁法で、同じ漁師が獲ったにもかかわらず、そんなことが起きるのがマーケット。そのマーケットで闘う以上、それがルールなのだ。

ひとつ、近頃のスーパーや直売所の売り場をみて欲しい。「私がつくりました。」「こんなところで育てています。」「こんな育て方をしています。」それは、農産物コーナーでの話です。一方、鮮魚コーナーに目をやると、「私が◯◯を獲った◯◯丸の漁師です。」「こんな漁法で水揚げしています。」「こんな海域で獲っています。」そんなメッセージは、ほとんどありません。

これは、やはり流通の仕組みに課題があるのです。そして、そこへ拍車をかけるように、漁獲量の減少と魚価の下落です。

今や、国から選ばれない地方自治体の予算は減っていく時代です。農家も、漁師も、とうふ屋も、飲食店も、建設会社であっても顧客から選ばれなければ生き残れない時代がきたのです。「顧客の顔を知っていること。」それは、この先にあるはずの地域の生業を大きく支えてくれると私は信じています。

もうひとつの流通の選択肢をつくりたい。

それが、今回のコシキフィッシャーマンズフェスにしたためた私のひそやかな想いです。
東京に住むあの人から、甑島の漁師に一本の電話がなる。
「◯◯丸の◯◯さんから、今週末のお祝いに真鯛を1本釣ってもらいたいです。」遠くにあるはずの島に、自分の親戚がいるかのような、そんな、近い島。

誰も知らない、甑島の未来ー

どうか、はじまりの日を見に来て欲しい。

漁師に会えるフェス、
KOSHIKI FISHERMANS Fest 2016

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2016年11月19日[土]入場無料|※飲食・物販は有料
時間 昼の部 12:00-16:00 夜の部 18:00-21:00
会場 中甑港特設会場及びコシキテラス

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◇OSHIKAKEデザインかごしま in甑島
◇浜焼き島グリル
◇うみねこ食堂
◇おさかなマルシェ
◇海とロック[MUSIC LIVE]
◇しまトーク
◇大漁旗手ぬぐいをつくろう

ヤマシタケンタ

ヤマシタケンタ

1985年鹿児島県上甑島生まれ。JRA日本中央競馬会競馬学校を中退したのち、キビナゴ漁船の乗組員を経て京都造形芸術大学環境デザイン学科地域デザインコース専攻。故郷をもっと好きになりたくて島に帰る。東シナ海の小さな島ブランド株式会社の代表取締役兼百姓を務める。

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