COLUMN お知らせ 社長コラム 2026.01.10

そのリズムは、直線ではなく循環する。

島から始まる次の80年へ

私たちの身体は知っている。
本当に大切なものは、直線的ではなく、ゆっくりと、何度もめぐってきたこと。これは、祭りの話であり、会社の話であり、島と社会、そしてこの国がこれからどんなリズムで生きていくのかを探す、ひとつの思索。

めぐりの国で

輪になると、先頭は消える
以前、哲学者の内山節さんが「日本の祭りは、輪になることで先頭や後尾という考えがなくなる。」というようなことを言っていたのを聞いて、なるほどなぁと思った。西洋の祭りの多くは、行進的なものが多く、特定の道筋をたどることで、明確な始まりと終わりが生まれる。それは、目標達成や進歩といった西洋的な価値観と人間が作り出す行為だと思ったし、そこに権威的なヒエラルキーがあることも同時に感じる。

一方で、日本の祭りの多くは、一体感と平等性を重んじることで、輪になることで「和」を尊ぶ。また、そこには内山さんがいうように、先頭がないということは後尾もない。つまり、どこから始まり、どこが終わりかわからなくなる。祭りが続く限りその動きが、ぐるぐると繰り返され、循環していく。そこにあるのは、直線的に進む時間の中にある循環性と永続性。日本の自然観や共同体のあり方を表現しているようにも思えてくる。

ハレとケは、境目を持たない

始まりと終わりが鋭く区切られるのではなく、季節がめぐり、稲穂が実り、いのりである祭りがあり、徐々に静けさに戻っていく一連の四季のようなサイクル。「ハレとケ」は、ある時に一瞬で変わるものではなく、グラデーションのようにあるいは、大きなバイオリズムの波のように上がったり、下がったり、満ちたり、欠けたりしている「めぐり」なのかもしれない。

戦後80年が経ち、時代の転換期にある今の日本。
新しい女性総理も誕生し、新しい風が吹いているような希望もあるけれど、同時に世界には様々なカタチの紛争も続いており、強風が吹いている気もする。だからこそ日本は、政治も社会も、人の日々の営みも、この土地の「めぐり」というリズムの中に置かれてきたことを思い出す時なんだと思う。

過去の時代には、王朝が変わっても政権が交代しても、「断絶した革命」ではなく、少しずつ重ねながら、ずらしながら、時間をかけながら受け渡してきた。個人的には、いつもこの国や地方自治体という仕組みが、すぐに変わらないことにモヤモヤするのだれど、その時間のかけかたこそがいかにも日本的で、日本が作り上げてきた長く続くための叡智であり、それこそが大切な文化と時間感覚なんだと思い直せば、納得もいく。

急に上昇したものは、急に下降するし、
すぐに手にしたものは、すぐになくなる。

あぁ、そういうものだったよなと思い出す。万物には原理原則があることを忘れて、目まぐるしく変わる世界の潮流の中で、生き抜いていこうと短期的な結果を求めてしまいがちだった。危ない危ない。「自然」という長い時間軸と対話することを自分自身が忘れていたと思った。

例えば、日本には、長く続いている会社がたくさんあるのだけど、象徴的な存在としてよく語られるのが株式会社金剛組。創業はなんと飛鳥時代で、寺社建築を専門とする会社だ。彼らが1400年以上続いた理由は、規模の拡大や多角化ではなく「木と仏と建物の時間に合わせる」という一点に、徹底して身を委ねてきたからではないか。

国家が変わり、権力が移り、宗教観が揺らいでも、
彼らは変わらずにそこにフォーカスし続けている。

ほかには、池坊。室町時代から続く華道の家元で、550年以上の歴史がある。興味深いのは、池坊が会社というより、「型と思想の継承」として機能してきたこと。時代ごとに流行は変わっても、「花を立て、場を整える」という核心は動かしていない。

和菓子の虎屋は、京都で創業し500年以上。時代ごとに顧客は変わり、すでに東京に拠点を移した。けれども「季節を菓子に写す」という思想は、今も変えていない。市場に適応するというより、季節というリズムを守っている。

虎屋のようかんが食べたい。
そんな風に、長く続くものにも
ワケがあるものだ。

それらに共通しているのは、
・急激な成長目標を掲げないこと
・変えるものと変えないものを、感覚的に知っていること
・「完成しない」ことを前提にしていると思えること

会社というものを直線的な時間軸で進む線で始まりと終わりがあるようなものとして捉えるのではなく、環のように「めぐる」ものとして捉えているのではないか。短期的な成長には、「起業→成長→成熟→衰退」という線があるけれど、日本の長寿企業は自然との繋がりや文化的なサイクルを礎にした企業活動が多く、「立ち上がる→沈む→また浮かぶ」という循環のバイオリズムの中にあるような気がしている。自然と向き合って生きてきた八百万の国だからこそ、カイシャにも神が宿るのだろう。

潮が引く日も、満ちる日も

私たち東シナ海の小さな島ブランド株式会社(island company.)にだって、潮が引く日があり、満ちる時もくる。嵐の年もあれば、凪の年もある。こうして長く続いている会社の例を見ることは、なんだか未来を保守的に考えることに思えていたけれど、決してそんなことはなく、80年とか160年とかのリズムで生きる覚悟を先人たちから受け取ることなんだと思い直している。

そうして、改めて甑島に長く続くものについて考えてみると、娘が2年連続で甑島の里八幡宮で巫女をしていたのだけれど「神社」の存在ってすごいなと年末に差し掛かった頃から、秋の例大祭や大晦日の神事や初詣などを見てきて、祀りごとの凄さを実感している。また、祭りには、必ず「音」がある。

日本人は、50音の言葉という「音」を通して、心や目には見えないものを人間同士で伝え合いながら、神様との心の橋渡しに「祝詞」という音がある。音があるから、身体が動き、そこに人は集まり、場が立ち上がる。音という言葉こそが、国を作っているのだと胸の内側から鳥肌のようなものが奮い立つ。

島から聞こえる、次の拍子

西洋的なリズムの基本は「拍」が先にある。1拍目が強い行進曲に表現されるように、強拍と弱拍が明確に区切られ、1・2・3・4という均等な時間のマス目の上に音が配置されており、人はその拍に「合わせる」存在になっていく。

だから西洋の祝祭の多くは、均等な時間の上に揃って行進することができる。軍隊や、教会などを見ても音を通じて一つの時間に統合しようとする。国家や宗教、都市の生活と親和性の高いリズムなんだと思う。

一方で、日本の祭りの歌や囃子は、拍が前面に出てこない。

むしろ「間(ま)」が先にあり、呼吸や身体の揺れの中から、後追いで拍が立ち上がってくる。息づかいや声、足運び、手踊りが先にあり、拍は結果として生まれてくる。

音が先か、身体が先か

盆踊りの歌、木遣り、シマ唄、念仏踊りなど。
どれも均等な拍に正確に乗ることよりも、声の調子や手足のうねりやこぶしの握り方。身体の重心移動が大切にされる。そこには、揺れがあり、遅れがあり、ズレがある。それでも壊れない。むしろ、その揺らぎこそが「場」をにぎわせ、場を作っている。

鹿児島や沖縄の島々は、拍を刻むことの正確さより、うねりや繋がり、その空間という場に対する「祈り」や共鳴する時間を大切にしてきたとも言えるのではないでしょうか。

いま、世界は再び「拍のない時代」に入ろうとしている。

効率的で均質なテンポが限界を迎え、人それぞれの生き方が尊重される時代。現代に生きる私たちは、この国のリズムを一度「古いもの」として否定し、速く、強くわかりやすい拍子に合わせて走ってきたのかもしれない。

私たちは、確かに物質的に豊かになった。けれども、どこかで社会がまるで息切れしているような感覚もある。「変わりたい」でも「変われない」そんな閉塞感にも包まれている。

転調は、壊さずに訪れる

160年前の明治維新から、およそ80年後に日本の敗戦があり、この国は一度、外圧により強く揺さぶられた。その敗戦からさらに80年が過ぎようとしている今。

過去に作られた様々な社会制度は続いているのに、
その意味が形骸化してますます希薄になっていく。

この80年周期は、革命のように断ち切られるものではなく、むしろ日本らしく、古い型が効かなくなっていく。しかし完全には壊れない。名前や形式を変えずに、中身の重心がずれるという静かな転調として現れるだろう。これが面白いのは、この周期が「国家」だけでなく、家族観や働き方、死生観、自然との距離感といった、生活の深い層にまで同時に波及しつつあることだ。

何かがおかしいと感じ始めているものの、
まだ新しい言葉は生まれていない。

80年という歳月(バイオリズム)は、何かを強く区切ったり制限するためのものではなく、「転調」のとき。そう思って、社会の不合理を眺めると、この違和感だらけの時代にやさしい気持ちになれそうです(いや、なれるだろうか、、、?苦笑)

言葉が現実を説明できなくなるとき

江戸時代の後期だって、日本における第二次世界大戦の終わりの時も。社会はすでに息苦しく、言葉と現実がずれ、制度が空回りし、中央ではない周縁の地から新しい思想や技術が生まれてきた。

明治維新も戦後80年の高度経済成長期のシステム(型)も。今は、そのモデルという(作法)が役目を終えつつあることを、社会全体が身体的な違和感を感じ始めている。現代は、そこからすでに心と体も分離している言葉がない状態だ。

だからこそ、次に来るものは、明治のように外来の制度を一気に移植する形とも、戦後のようにアメリカから与えられた枠組みを磨き上げる形とも、少し違うはず。次の拍が、どこから鳴り始めるのか、耳を澄ませていて欲しい。

わたしは、きっと
それが島からだと思っているーー

過去の歴史を見れば、中心が壊れる前に、周縁がざわめき出す。
それが最初の合図です。

江戸時代だって幕府の中枢が突然倒れたわけではなく、先に起きたのは、地方藩の疲弊と農村一揆。藩校や私塾での新しい学びと蘭学や国学の流入。いわゆる正統な中心ではなく、周辺の小さな村や小さな現場で、言葉と身体(心)のズレが大きくなった。尊王攘夷、開国、佐幕、倒幕。言葉だけが過剰に立ち上がり、現実を説明できなくなっていたのだと思う。

戦前から戦後への転換点でも、それは類似する。

敗戦という「大きな事件」は結果であって、その前段ではすでに都市と農村の乖離が始まり、精神論が肥大化。若者の虚無感や、言葉の空洞化が進んでいた。

誰もが「このままでは続かない」と感じていても、
その時、別の言い方を持てなかった。

それは、「転調の兆し」だ。最近の国会中継や政治などのニュースや地方創生ならぬ、東京創生の現実を見ていても制度が空回りし、言葉が強くなることで分断が語られる。一方で、土地の風景や匂いや五感などの身体感覚や、自分が今ここに生きているという手触り感を求めて、そんな仕事に人が原点回帰していく。

ここからは、それをAIがサポートしていく気配がしている。昔は良かったなんて懐古主義的な時代の後戻りではなく、次の80年のリズムを探すためのより戻し。歴史は繰り返さないが、変わり始めるときの「乱れ方」は、いつの時代も似ている。

近頃の若者たちは、「がんばっても報われない」「手触り感がない」という感覚が強くなっている。働いても、我慢しても、信じつづけても生活がよくなる実感が薄い。日本の経済成長の神話も安定神話も、また、努力や我慢が美徳とされる忍耐強い物語も失われつつあるのです。

今、当たり前にあると思っていたものが崩れ始めた時、制度や法律も人の暮らしを守れなくなる。例えば、大規模自然災害や感染症も、あるいは、介護や医療、子育て環境や教育現場も。人口減少による地方の壊滅的なインフラの状況はますます悪化していくだろう。

「いざという時は、国や地方自治体という仕組みが支えてくれる」

といった無意識の前提が、この先はもっともっと崩れていく。能登半島の震災から2年が経過したが、復興はどうだ。遅々として進まない状況が、多々あると聞く。これは大きな不安と恐怖でもあるが、同時にこれまで依存していたシステムが機能しないと知る痛みでもある。

ここが、一つの分岐点であったと
後から振り返ることになるだろう。

そして、その中で、言葉という音が人を分断していく。
正しさが鋭利になり、立場の違いが人格の否定にすり替わる。かつては曖昧さで保たれていた関係が、説明責任や可視化によって裂けていくよう。民主主義の副作用である以前に、日本が得意としてきた「間の調整」が機能しなくなっていく。

お茶の間に話題提供してくれる「熊」さえも、里山という調整地がなくなり、人間社会との「間」が調整できなくなっているのだ。消えていく集落、荒れる里山、空き家、閉じる商店、継がれない祭り、無人化する島。これはノスタルジーではなく、人が「自分はどこに属しているのか」を身体で感じられなくなることだ。

幕末の黒船も、敗戦も、
引き金ではあっても原因ではなかった。

それのことはいまも同じで、何か一つの大事件が来るというより、「もう戻れない」と多くの人が腹の底で知ってしまう瞬間が、静かに広がっている。ただ、実は、そこに希望も同時に芽吹いている。

制度の外で、人と人のつながりが小さく結び直されている。ここ鹿児島でも鹿児島離島文化経済圏や薩摩会議のような場が生まれてきている。土地や仕事、学びや祈りが、スケールを落として再編されていく。

私たちのこの時代を生きる痛みは、「壊す」ためではなく、次の拍に移るために、現在の調子が限界に来たことを知らせる合図なのだ。

だから、ここからの80年は、拡張の時代ではなく、スパイラルアップ(循環)した先の同調子の時代だと思う。明治からの時間は、諸外国に「追いつく」ための時間。戦後からの時間は、グローバルに「最適化する」ための時間。これからは、そのどちらでもない「人と自然と共同体」の拍子を、もう一度合わせ直す長い同調子に戻る時間。

今起きている移民の受け入れに対するハレーションや、諸外国に対する国民感情も重要視されている。日本人とは何か?国家というもののカタチは、より輪郭が淡くなっていっている。それは、強い中心がすべてを決める社会のあり方ではなく、複数のリズムが併存しそれぞれが干渉しすぎないような、けれども混じり合っている汽水域のようなものかもしれない。

総理大臣、首長、社長など全ての「長(おさ)」たちは、社会を統治する歴史から、共通の物語と作法を考え直す多様性ある共同体へと戻っていく。そうして、経済は「大きさ」より「意味と関係性」が価値になる時代。効率や成長率ばかりを追い求めることなく、どんな風景を守り、どんな関係を育て、どんな時間を残したいか。

数字に換算しきれない価値も、
じわじわと社会の基準になるだろう。

ここからの技術革新は、人を速くする道具から、人の感覚を取り戻す媒介になる。AIもビックデータも、判断を奪うものではなく、人が人「間」として立ち止まり、選び直す余白をつくる方向に成熟していく。便利さより拍子の「調子がいいか」が問われる。

この先の暮らしは、縮小ではなく凝縮である。
移動距離は短く、関係は濃く。
世界と世界は、細い一本の線のようなものつながっている。
小さな島々や半島、山間部のような中心から離れた「端の場所」こそ、
次の来たる世界を先に生きていくところ。

ここから先は、声の大きい人が勝つ社会ではなく、
長く耳を澄ませられる人が信頼される社会であって欲しい。

そして、少子高齢や人口減少の時代は、

人が減りゆく社会ではなく、
一人一人が大切にされる社会であってほしい。

鹿児島の島々は、日本がこれから80年かけて直面する問いを、すでに身体性を伴いながら生きている。島を取り囲む「黒潮」という存在は、国境も県境も、市町村も知らない。速さも、方向も、人の都合では変えられない。

でも、その流れにどう身を置くかを私たちは、選べるのです。

計画で未来を管理しようとするのではなく、変えられない原理の上で、人間としての振る舞いを「言葉」で再設計し、再同調していく。

琉球弧、薩南諸島、台湾。交易、漂流、信仰、言語、植物、唄や踊りなど。国家というものが、線を引く前から、人と文化は、黒潮に乗って往復していたはず。

海という存在は、
島と島を隔てるものではなく、
繋いでいるものだ。

今、それぞれの地域の固有性を大切にしながら、「自治」の輪郭が溶け始めている。私たちが、目指すべきことは、新たな連携ではなく、いちど断ち切られた海域における“自然な往来”を、別の手法により取り戻していくこと。

その時、国家よりも小さく、村よりも大きい単位での連帯が求められる。成長ばかりではなく、持続と往復を前提にした相互経済の作り直し。痛みや失敗を隠さず、共有可能な知恵に変えることのできる仲間の存在とその文化。中心をつくらず、物語を共有する多様な価値観の共存する共同体。

今、鹿児島の島々から始まっているものは、「地方創生」ではなく、次の時代のプロトタイプだと思っている。

甑島から小さく始まったisland company.や鹿児島離島文化経済圏といった試みは、やがて「島から世界へ」ではなく、「世界が、島のやり方をのぞき込み」にくる。そんなところをイメージしている。信頼のおける海域の仲間と、安心する関係性。

経済とは、世を治め、民を救うこと

経済というものは、英訳のエコノミーではなく、経世済民(=世の中(国家・社会)を治め(経世)、民衆(人々)を苦しみから救い(済民)、豊かにする)。経済活動の最後に残るものが自然や文化ではなく、そこにある自然環境と共にある集落や自治、コミュニティをベースにそれぞれの個性ある経済が彩られていく。

そんな環境文化社会に近づいているとしたら私は、嬉しく思う。
私たちは、環境を「守る」だけの対象にせず、文化を「装飾」にもしない。自然環境そのものが文化を育み、文化が環境への振る舞いを決めていく。そんな未来が実装されていく時に、私たちisland company. が橋渡しをする出番があるのだろう。

その時にある自治とは、制度のことではなく「信頼関係の延長」であり、経済活動が「風景」を壊さないかどうかでも評価されていく。

そして、いまはこの国だけでなく、地球の文明全体が同時に「転調」しているような感覚もある。だからこそ、甑島をはじめとする鹿児島の島々における鹿児島離島文化経済圏のような人間社会の縦割りではない海域的な試みが、単なる地域活動を超えた意味を帯びてきているのだと感じている。

これまでの社会が通用せず、そのあり方が揺れ動くとき、次の形はいつも中心ではなく、周縁から現れることを私たちは歴史から学んできた。

島という周縁の環境に身を置いていると、その感覚は、とても身近なものであり、中心に支配されないでいることも選べるのだ。さて、そんな島々にはあらゆる神事(かみごと)が残されてきて、今でも各地の唄や踊りなどの祈りも残されてきている。

まつりごとは、その土地のリズムを作ってきている。
なんの信憑性もない、ケンタ調べによると、神社が衰退している街に元気なまちはない。何もそれは霊的なことを言っているのではなく、その土地や場に対する継承への意識にもつながっているのだと思う。例えば「式年遷宮」と呼ばれる伊勢神宮の20年ごとの建て直しがある。すでに1600年以上続いている。それだけでも、すごすぎるのだが(語彙力)、その意味もまた深い。

神様に新しい社殿に移っていただくための「形」「作法」「言葉」は口伝のように残ってきたのに、20年も時間が経つということは、職人自身も20歳、年老いていくことだし、20年前に生まれた赤ちゃんが、今年ハタチの職人になっている年月でもある。若手に引き継ぐにも、大工の技術や設計の「意味」も「手触り感」も薄れていくギリギリの時間軸なんだと思う。

だからまた、語り直し、位置づけ直しが必要になっていく。

さらに大切なのは、そうした神事も、象徴である天皇が参拝する日本の「リズムを作り出す中心的な行事」でありながら、必ずその土地の周縁の力で成り立っていることである。木を育てる山があり、技を磨く里がある。材料を運ぶ五十鈴川と豊かな伊勢湾がある。その場に立つと、はっきりとは見えないけれど、確かに存在する周縁の場所の20年という時間が、その祭事を支えている。

式年遷宮は、20年ごとに今の「調子」を問い直しているのだと思う。私たちの暮らしにおける「形」「作法」「言葉」。その身体性も手触り感も、薄まっている昨今。島々の暮らしや自治の考え方、文化と経済のつくり直しこそが、現代の式年遷宮のようなものだろう。それは、全てを壊さず、全てを保存するわけでなく、生きたまま更新していくものである。

これまでの約20年、特に2000年代以降の日本は、明らかに成長は鈍っていても、効率化やKPIなどの数値化、競争、グローバル化、金融と貨幣の論理など。これらを「正解」とする思考や生活様式をほとんど疑われないまま続けてきた日本社会に歪みが隠せなくなってきた。昨今、言葉として聞こえてくるもののいくつかに、食と農への関心(問題)、地域や集落の再評価(問題)、小さな自治や協働・互助(問題)、ケアや教育、祈りやコミュニティの再編などの場づくりの重要性(問題)、「稼ぐ」より「稼ぎ方」への価値転換。

これから求められる取り組みは、わかりやすい数値で語られる派手さよりも、上記のような確実に根を張るものが求められ、「つくる」より先に「戻す・整える・受け継ぐ」これが基調となる「調子」や「拍子」になる。

生きるという根底にある経済の再構築が進む。外に売る前に、まずは、内で回ること。食もエネルギーもケアも、移動、住まい。最低限の生活が、貨幣に過度に依存せずに成り立つ仕組みを、地域ごとに持ち直すこと。令和の米騒動もその一端だと思っている。

だからと言って、皆が自給自足をしようということではなく、「いざという時に、助け合える関係」をつくることが大切だと思っている。島や集落は、その最前線です。次に大切なのは、自治という存在を身体化すること。誰かが決めた社会制度としての自治ではなく、「自分たちで決め、自分たちで引き受ける」経験を、小さな単位で積み重ねること。

そして、風景を仕事にすること。守るだけではなく、使い尽くさないこと。棚田や漁場、森林、集落の道や神社・仏閣の祈りの場。それらを、効率化せずに、プロセス丸ごと価値であることを再認識すること。島に生きる私たちの先人たちがやってきた「自然である」技術は、次の時代の高度な知恵になります。集落、海域での会議、学校や祭りごと、協同組合など。

失敗しても戻れるサイズで、
決定と責任を取り戻すこと。

だから未来に求められるのは、強いリーダーではなく、「調子(拍子)」を読む人である。未来を、新しく「つくる」人ではなく、正しい場所に、正しい速度で、戻っていけるよう間を繋ぐ人が求められる。」

自立しないという、強さ

海域で分かち合う経済

けれども、過疎の進む離島で、いまを生きるだけでも容易でない。どのような取り組みで、先の未来のための土壌を整えていけばよいだろうかとも悩むのが現実だ。そんな中で、これからの離島の経済対策は、

外に対峙しながら“稼ぐか守る”かの二択ではなく、「環境ベースの小さな経済」を先につくることで、大前提として大切なのは、自立を目指さないことかなと思っている。

離島は、電力も医療も教育も、完全自給は現実的ではない。だからこそ、「どこまでを島で担い、どこからを海域で分かち合うか」を明確にしていく。

一次産業や食とケア、自治や集落文化などは、島の内側で厚くしていく一方で、小売などの物流や高度医療、専門教育などは、海域で支え合う。経済圏を“島単体”で閉じないことが、大切だと思う。

たとえ大きく稼げずとも、島や経済圏でぐるぐる回る仕組みを増やしていくのです。究極の他力本願。頼れる先がたくさんあるということ。さらには、人が育つこと。関係が残ること。仕組みが続くこと。

私たちが目指すべきは、「豊かになる」ではなく、「貧しくならない」ことかもしれません。これは後ろ向きな答えではなく、次の世代に何を渡せるか?という問いでもあります。その時に必要なものは、肩書きではなく、通訳者のような言葉の違いを理解できる存在です。

時代の繋ぎも、制度ではなく
心がわかる翻訳者(外交官)がいて
初めて成立するからです。

島という存在は、海に囲まれた環境でどこも似ているけれど決して同じではないのです。話す言葉も、気質も、歴史の傷もその深さも違う。だから、「共通のビジョン」を先につくると、必ず誰かが置き去りになってしまう。

私たちに必要なのは、共通のルールではなく、
共通のリズム(拍子)だと信じています。

島は、国家の外側で成熟してきた

江戸から明治へ。島は「外側」に置かれ、差別は制度になり、戦後80年、今度は「保護」や「国防」という名の下で、声を持たない下層に固定されているようです。選挙区割りや予算配分などの政策決定も。そのどれも“参加しているようで、決めることのできない”構造です。

それは、言葉を選ばずに言えば、現代的な従属です。

けれども島は、中央に依存しきれない。たとえ国家が壊れても生き延びることができる。厳しい自然と折り合いをつけることができ、常に少人数で合意形成してきた。喧嘩をしすぎないことも知恵の一つ。「国家や社会の制度が弱まる時代の生存技術」を、すでに島は知っている。

次の80年で島が手本になるとしたら、それは「反中央」でも「独立」でもありません。“国家の外側で成熟したモデルを差し出す”この態度こそが、島の強さになると考えます。

統治よりも、関係で回る社会。

法律や制度が先にあるのではなく、顔の見える関係が先にあり、ルールは後から最小限ついてくる。島はこれを、ずっとやってきた。揉め事も、資源配分も、「正しさ」より「続くかどうか」で決めてきた。

弱さを前提にした経済。

島は、強くなれない。でも、壊れにくい。大量生産も、規模の論理も使えない代わりに、分散も複業も相互扶助も冗長性もある。それは、これからの不安定な世界にとって、実は最先端ではないでしょうか。

代表制ではなく、参与の文化。

島では、「誰が代表しているか」より、「その場に居続けるか」が力を持つ。選挙で力は持たずとも、日々の実践で影響を持つ実質政治。この非公式な政治こそ、次の時代の民主主義の原型になるのではないだろうか。島は、歴史の中で何度も“先に傷ついてきた場所”だからこそ、その回復の仕方が、世界の教科書になっていくと思う。

island company は、
急成長しないことを戦略とする

15年後までに私は社長を引退するつもりだ。私たちが、その時に「日本の島を代表する会社」になっているかどうかは単純に売上で競うのではなく、島々の人たちが私たちの関係がどう変化し、私たちの存在をいかに呼んでくれているか?なんだと思う。

その言葉もまた、直線的ではなく
残したい未来の風景に向けて循環していくのだろうーー

残したい風景に向かって、言葉はめぐる

島という存在は、まもなく周縁ではなくなる。ようやく時代の中心に呼ばれる時が来る。その変調の入り口に、私たちは、いま立っている。

書いた人

山下 賢太

代表取締役

山下 賢太/ KENTA Yamashita

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