右か左かの別れ道ではない。どちらも同じ場所に辿り着く、曲がりくねった一本道を歩いてる。
あっという間に時間が、進んでいく。あっというまに。あっというまに、春も夏も秋も冬も、人生も過ぎ去っていく。甑島に戻り、14年。あっというまに、と口でいうほど簡単じゃないことの連続だったし、銀行からの借入もでかくなったし、スタッフも拠点も増えて、家族も増えた。
こうして文章打てているのも奇跡に近い。
あのとき諦めていたら、こうして投稿することも叶わなかっただろう。
あのとき諦めたからこそ、今の自分もあるだろう。
全ての道は、曲がりくねった一本道で、繋がっていると思う。右か左かの別れ道ではなく、どちらも同じ場所に辿り着く、一本道だと。信じるものにだけ見える道が、確かにあるような気がするよ。
この先も自分の人生を切り拓いていけばいくほど、一筋縄でいかない出来事が待っているんだと思うと、ずいぶん苦しい人生だけれど(笑)きっと、それでもやる道を選ぶのだと思う。
幼少期病弱だった、亡き祖母が教えてくれた、
与えること。苦労は買ってでもすること。こつこつと学ぶこと。
自分の弱さを受け入れること。
自分の家とか土地とかの財産を残したいとか、名誉とか(なんか色々表彰はされてるけど)、それほど大きな欲はない。個人の財産って言えば、死んだ人にもらったボロボロの軽トラと、家族と友人だけ。(通帳には、宵越しできないくらいに、ほぼ何も入ってない笑)銀行マンも今頃びっくりしてる。
自分の欲望を強いて言うなら、これまでたくさんの人々に与えられた人生を、この先は、与える人生にしていきたいということ。人一倍、悲しみや苦しみや、他人の痛みが分かってあげられるような人生であること。そういう自分でありたいし、そういう経営者でいたい。
そうして思うんだ、きっと。それは、過去の報われなかった自分自身が
救われていくってことなんだと。
この先は、これまで以上に、ひとを育ててわたしは死んでいく。
日本の小さな島、小さな集落、ひとりひとりの可能性に光をあてて、人を育てる。
書いた人